■明治時代の雄蛇ヶ池
(2006.11)

下図は1882年(明治15年)測量の雄蛇ヶ池周辺地図です。池の名前にカナがふってあり、”おんじゃがいけ”となっています。(私が子どものころ、年寄りは雄蛇ヶ池のことを”おんじゃ”と呼んでいました)

現在の雄蛇ヶ池に比べると、形状がやや細目であり、北側の湖岸線の凸凹が滑らかに感じられます。これは、測量技術の問題もあるかもしれませんが、たぶん、当時の池の水位が現在よりも低かったことによると推測されます。地図では裏の堰堤がまだなく、養安寺谷津が現在は水田になっている所まで広がっています。今の満水の水位で裏の堰堤がないと、養安寺谷津はこの程度の広さではすまないと思うので、このことからも水位が今の水準よりかなり低かったと考えてよいでしょう。現在、裏の駐車場から見て裏堰堤左端に、遊歩道から外れて林の中に行く小道が今もあるのですが、おそらくそれが当時の池沿いの道と思われます。
124年前なので流れ込みまわりがまだ護岸される前の状態と思われますが、流れ込みがどうなっていたのか地図からは読み取れず不明です。今のようにちゃんと川になっていなかったかもしれません。(あの流れ込みは人によって作りこまれた形跡がしっかりとあります)また、現在の松田谷津の奥の湖岸線に人工的だなと感じていた部分があるのですが、この地図にその謎のヒントがありそうです。……

また、雄蛇ヶ池とともに東金七池の一つであり同じぐらい歴史の古い八鶴湖ですが、昔は八鶴湖の奥にもう一つ小池があったと聞いていたその池が描かれています。
その他、東金周辺の明治時代の様子がわかり、非常に興味深い地図です。

地図の拡大版はこちら


■■以下、転載分です■■  

明治時代の雄蛇ケ池周辺地形図
The Onjyaga-ike circumference topographical map of Meiji Era.
雄蛇ヶ池の古地図
fig.01 明治時代の雄蛇ケ池周辺地形図

※【原版】1882(明治15)年測量、1887(明治20)年製版、同年08月26日出版 参謀本部陸軍部測量局、佐倉近傍第9号「東金町」、の一部を複写撮影し、2006年11月21日よしさん作成

本シリーズ前掲「牛久村」において、【昭和24年06月03日法律第188号測量法の第29条(測量成果の複製)・第30条(測量成果の使用)に基づく「地図の複製/使用承認申請」非該当を、2006年11月16日国土地理院総務部総務課審査係確認済】のため、本「東金町」においても、非該当と判断します。
【よしさんコメント】
再び、書斎兼書庫を探しまわり、124年前に測量された雄蛇ケ池周辺地形図を発見しました。
これが竣工から、268年後の雄蛇ケ池です。
雄蛇ケ池の養安寺谷津は、現在の堰堤・駐車場とそれに続く水田の奥まで、伸びていたことや、松田谷津の奥に水源涵養芝地が設けられていたことが、わかります。
付近にお住まいの方には、千葉街道が拡幅・整備中であること等、興味深くご覧頂けると思います。
もっと大きな写真で詳細も見たい方は、こちらに用意しました。
ディスプレーを左右にスクロールして、アームチェア・フィッシングをお楽しみください。
発表:2006年11月22日 牛久沼漁業協同組合顧問 よしさん

■■ここまで、転載分です■■

※本稿転載は、「ザ・レイクチャンプ」よしさんより許可を頂いています。 転載元ページは、「亀山ワカサギ情報」をご覧ください。